「明治伊万里」復刻プロジェクト 明治伊万里とはー「明治伊万里」の定義とは? 様式とは?

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「明治伊万里」の定義とは? 様式とは?

名工が持てる技のすべてを尽くした幻の名品─「明治伊万里」

side_photo1.jpg色絵捻割地紋唐草文鉢 有田焼は、絵文様や形式の上から大きく「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島」に分類されます。「古伊万里」という名前はよく聞くと思いますが、これは主に江戸時代末期頃までに作られた有田焼のうち、「柿右衛門」様式と「鍋島」様式を除いたすべての焼き物を指す一般的な呼び名です。
 そして、この古伊万里ブームの陰に隠れてあまり知られていないもう一つの有田焼が、西洋の骨董世界で珍重される「明治伊万里」なのです。
1853(嘉永6)年の黒船来航をきっかけに、出島以外にもぞくぞくと日本に外国人が乗り込んでくるようになりました。彼らは、数々の日本の優れた伝統工芸品に目をつけたわけですが、伊万里焼もその一つだったのです。そのうち、外国の商人から、「洋皿を作ってくれないか」「こんなものはできないか」といった、さまざまな依頼をされるようになる。すると、いわゆるプロデューサー的な立場の人間が登場してくるわけですよ。彼らの要望を聞いて、見本を持ってきて日本の陶工たちに作らせる、いわば豪商ですね。このあたりから、それまで作っていた和調のものから、一気に形も色も使う絵の具も変わっていくわけです。
side_photo2.jpg色絵縁間取り唐草文スープ皿 やがて、1868(明治元)年の明治維新、1871(明治4)年の廃藩置県を経て、国中が文明開化にわく、日本近代の黎明期がやってきます。海外からの情報がどっと入ってきて、ものすごいスピードで日本が変わろうとしていく時代です。だから、とうぜんのように、江戸末期から明治にかけてというのは、日本の美術がものすごく修練していった時期だと思いますね。ことさら、世界で評価された工芸の世界ではそれがものすごいことになっていったんだと思うんです。
 でもその一方で、廃藩置県によって鍋島藩は崩壊してしまう。藩によってそれまで手厚く庇護されていた陶工たちは、一転して明日をも知れぬ境遇に立たされてしまうわけです。
side_photo5.jpg色絵赤濃蝶文コンポート でも、ここですごいのは、江戸文化の爛熟を身をもって体験してきた職人集団である彼らは、持てる技のすべてを尽くし、世界に打って出るものを作り出すことに全身全霊をかけるんですね。そんな彼らの手によって生み出された、疾走感とエネルギーに満ち溢れた作品の数々──これが「明治伊万里」なんです。もう窯がなくなった、あるいはそれまで締めつけられていたものがすべてなくなった、明日はどうなるかわからない、となったときに、今まで江戸絵画を勉強したり、歴史を勉強したりして、自分の中に溜め込んできたものを一気に吐き出す、その疾走感とエネルギー──それこそが「明治伊万里」の真骨頂だと思うのです。
side_photo4.jpg色絵兜唐草連鎖文洋皿 ものすごい緻密な絵がぎっしり描き込んであったり、とてもじゃないけどこれは真似できないわ、と思ってしまうような作品がいっぱいあるんです。どんな無理難題を与えられても、「こんなことやったことないよ」じゃなくて、彼らはやるんですよ。そこに、エネルギーと疾走感を僕は感じるわけです。
 それと、これでもかというくらいデカイのを作っているのも、「明治伊万里」の特徴です。中国に負けないぞ、という大物を作ってる。これは、それまでの江戸期にはなかったですね。それも、もう先がない!というギリギリまで追い詰められたなかでのチャレンジ精神だったのではないかと思います。
 この「明治伊万里」が、当時ジャポニズムが人気を博していたヨーロッパでものすごくウケて、世界の大博覧会でも、他のどんな伝統工芸品よりも彼らを魅了してやまなかったわけです。

卓越した伝統技術と最先端の近代技術を融合させた「精磁会社」

about06.jpg精磁会社の刻印 鍋島藩の崩壊によって藩窯を失い、舵取りのいなくなった陶工たちは、その後どうしたか──。新たに集団を組んで一から始めるか、やめるかの二つに一つですよね。そこで、とにかく有田で一番優れた職人集団を集めろ、といって作られたのが「香蘭社」(1875(明治8)年~)という、日本で最初の会社的組織です。いくつかの窯焼きと商人が合体したわけです。
 設立した翌年の1876(明治9)年には、米国建国100周年記念フィラデルフィア万国博覧会で大成功を収めた香蘭社でしたが、美術品や日用食器の製造販売に対する考え方の違いから、職人たちが2つに分裂してしまいます。こうして、香蘭社から分かれた有力な陶工たちによって、1879(明治12)年に設立されたのが「精磁会社」です。
 「精」という字には「こころ」「たましい」という意味がありますが、その名のとおり、精妙で魂のこもった数々の名品を残しています。また、高級日用洋食器を開発したり、最新鋭のフランス式製陶機械を導入したりして、卓越した伝統技術と最先端の近代技術とを融合させたことも、「精磁会社」の素晴らしい功績といえるでしょう。
 「精磁会社」の製品は、1883(明治16)年にはオランダ・アムステルダム万国博覧会で金賞を獲得しています。さらに、同年11月、当時の東京麹町山下町(現在の千代田区内幸町)にオープンした西洋社交クラブ「鹿鳴館」では、「精磁会社」の洋食器が夜毎の饗宴を彩り、海外からの貴人たちを驚嘆させました。
 「精磁会社」の製品は、そのほとんどが輸出用につくられていました。ですから、国内では一般市場には出回らず、唯一の納品先といえば、浜離宮に隣接した迎賓館や宮内省延寮館くらいでした。今でも入手が非常に難しく、「幻の有田焼」と言われているのはそのためです。
しかし、この「精磁会社」は10数年という短い期間で名品を残しながら廃業してしまいます。世界不況が原因といわれていますが、プロ意識に高い職人たちの寄り合い所帯に無理があったのかもしれません。
 ただやはり、残した製品は見事です。蒲池さんからいろいろな精磁会社製品を見せて頂きながら、どれもため息がでるほど素晴らしい出来でした。その出来映えに惚れたことから、復刻はスタートしたといってもいいかもしれません。これが今できるなら、有田の伝統技術も生き残れるんじゃないかと。

通販・販売店

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展示会情報

現在、展示会情報はございません。

ご来場ありがとうございました。
紀伊国屋NY本店特別展「麗しの明治伊万里」は終了しました。

●会期
 2010年
 10月23日(土)~11月7日(日)
  月曜日〜土曜日 10:00〜20:00
  日曜日 11:30〜19:30
●会場
 米国紀伊国屋書店NY本店 2階展示場 
●主催
 米国紀伊国屋書店
 有田製窯株式会社&明治伊万里復刻プロジェクト
●後援
 佐賀県有田町
●協賛
 宗政酒造株式会社 
 山下工芸株式会社
 エム・テック株式会社
●協力
 株式会社窯品計画
 朝重利文デザイン事務所
 辻調理師専門学校
●会場デザイン
 大寺康夫(JIN Woodscaps 建築家)
 ヒロ・オダイラ(Precious Pieces 和紙デザイナー)

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